【読書メモ】方法序説(デカルト)

デカルト方法序説を読んだので、メモを残しておきます。デカルトといえば、「我思うゆえに我あり」という言葉が有名ですが、その真理に至る過程に見習うべきポイントがあるように思いました。(「我思うゆえに我あり」を起点にして、主張している各種の”真理”については「??」なところが多々ありますが、、、)

個人的には、以下が持ち帰りになりました。

  • 絶対的に正しいと言えることなんて皆無に等しい一方で、正しいことを見出すまでにも日々の決定を下さなければならない
  • 日々の決定を下す上では、「身近な人々の穏健な意見に従うこと」、「疑わしいことでも一度決めたことは貫くこと」「変えられるのは自分の思考だけであると理解すること」が大事

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

サマリー

  • 第一部:学問に関する考察
    • デカルトは、人を人たらしめる真理を探求するために、様々な学問を学び、様々な土地を訪れ様々な事柄に触れることで、習慣や慣例だからと言って「真」であるとは判断してはならないことを学んだ。そのことから、自身の理性を導くための方法を手にいれることができた
  • 第二部:学問上の規則
    • 急な変革が難しい大組織とは違い、自分の思考であれば、これまで受け入れてきた誤った考え方を取り除くことができると考えた。そこで、論理学、代数、幾何学から4つの規則(明証、分析、総合、枚挙)を考え、その規則に従う事によって数学分野では難しい問題を解けるようになった。諸学問の原理たる哲学でも、原理を打ち立てたいと考えたが、それにはまだ自らが成熟するまでの時間が必要と考えた
  • 第三部:道徳上の規則
    • 誤った思考を排除して新しい思考を作りあげる間にも、できる限り幸福にいられるよう、「1、国の法律と習慣に従うこと」、「2、どんなに疑わしい意見でも一度決めたことには一貫して従うこと、3、自分が変えられるのは自分だけであると信じること」、の3つの格律を掲げた。3つの格律に従って行動することで、様々なことが分かるようになったが、それでもまだ哲学の基礎を作るようなことを何一つ築き上げられていないという事に気づいた
  • 第四部:神と人間の魂の存在証明
    • 哲学の真理を見つけるために、あらゆることを疑った結果、確かなことは「疑っている自分がいること」だけであることに確信した。次いで、「私が真理を語っていることを保証することは、私がそれが真理であることを明晰にわかっていること以外にない」として、さらに「私が明晰に判断することは全て真である」とした。

メモ

デカルトは、人を人たらしめる真理を探求するために、様々な学問を学び、様々な土地を訪れ様々な事柄に触れることで、習慣や慣例だからと言って「真」であるとは判断してはならないことを学んだ。そのことから、自身の理性を導くための方法を手にいれることができた

  • 人の意見が分かれるのは、真偽を判別する能力(良識)による違いではなく、思考が異なる道筋により導かれる事によるのである。本書では、私(デカルト)が、如何に「自身の理性を導くための方法」を得るために努力してきたのかを、批判を覚悟で「紹介」し、読者にもそんな私(デカルト)の率直さを良しと受け取ってほしい
  • 私(デカルト)は昔から様々な学問を学んだ。それぞれの学問に有用な側面があることは認めはするものの、自分の無知を知らされた以上に得るものはなかった。あらゆる学問は完全でないことを理解することで、私(デカルト)は教師への従属から解放されたのだった
  • そして、世界という書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探求しようと、旅をして宮殿や軍隊を見、気質や身分の異なる様々な人々と交流し、至る所で経験する事柄について、何らかの利点を引き出すこととした
  • 突飛で滑稽なことでもそれが多くの国や人々に受け入れられている様を見て、慣習や前例だけで物事に納得してはいけないことを学んだことが、旅の最大の利益だった。これによって、私(デカルト)は、誤りから解放され、理性を手にすることができたのだった

急な変革が難しい大組織とは違い、自分の思考であれば、これまで受け入れてきた誤った考え方を取り除くことができると考えた。そこで、論理学、代数、幾何学から4つの規則(明証、分析、総合、枚挙)を考え、その規則に従う事によって数学分野では難しい問題を解けるようになった。諸学問の原理たる哲学でも、原理を打ち立てたいと考えたが、それにはまだ自らが成熟するまでの時間が必要と考えた

  • 町並みや法律が全く統一されていなかったドイツでの経験から、大組織では統一されていないなりの利点もあり基礎から全て覆すような統一を行うことが難しいと考えた
  • しかし、私(デカルト)個人の場合は、そうではない。これまで受け入れてきた諸見解をきっぱり取り除き、ほかの良い見解を取り入れる方が、自分の生をはるかに成功に導くと信じた
  • 私(デカルト)は、理性から導かれた意見以外を全て捨ててしまおうとは思わなかった。若い頃に学んだ、論理学、代数、幾何学から、それらの長所を含み、欠点を免れた4つの規則(明証、分析、総合、枚挙)を考えた
  • 4つの規則とは、「1、明証は、私が明証的に認めたことでなければ、如何なることも真として受け入れないこと」であり、「2、分析は、検討する難題を1つ1つをできるだけ多くの、しかも、問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること」であり、「3、総合は、私の思考を順序にしたがって導くこと、認識しやすいものから初めて、徐々に複雑なものの認識に登っていくこと」であり、「4、枚挙は、見直しをして見落としていないことを確認すること」である
  • これらの規則に従うことによって、難しい数学の問題でも解けるようになったし、未知の数学の問題に対しても、どのように解けば良いかを考えられるようになった。しかし、それ以上の効能として、自分の理性を完全でないまでも、少なくとも自身の力が及ぶ範囲では最もよく導くことができるようになったという確信が得られたことであった
  • 次に、この規則を数学以外の問題にも適用したいと思った。特に、諸学問の原理となっている哲学において、原理を打ちてるべきと考えた。しかし、当時23歳だった私は、これまで積み重ねてきた悪しき意見の全てを根絶するために、もっと成熟した年齢までは哲学への挑戦は待たなくてはならないと考えた

誤った思考を排除して新しい思考を作りあげる間にも、できる限り幸福にいられるよう、「1、国の法律と習慣に従うこと」、「2、どんなに疑わしい意見でも一度決めたことには一貫して従うこと、3、自分が変えられるのは自分だけであると信じること」、の3つの格律を掲げた。3つの格律に従って行動することで、様々なことが分かるようになったが、それでもまだ哲学の基礎を作るようなことを何一つ築き上げられていないという事に気づいた

  • 真理を得るための計画を立てただけでは十分ではなく、思考においては真理を決定しない間にも、行動においては非決定に止まることがないように3つの道徳を定めることとした
  • 1つは、国の法律と習慣に従うこと。中でも、身近な人々に従って自分を律することが有益と考えた。人々の意見を見定める上では、彼らの発言よりも行動に着目した。また、一般的に受け入れられているいくつかの意見がある場合には両極端なものは避け、最も穏健なものを受け入れるようにした。自分の自由を削るような約束は両極端とみなした
  • 1つは、どんなに疑わしい意見でも一度決めたことには一貫して従うこと。実生活の行動は一刻の猶予も許さないのだから、どれが最も確かな意見か見分けがつかない場合には、最も蓋然性の高いものに従うべきである。それも分からない場合でも、どれか一つの意見を選び、選んだ以上は曲げてはいけない
  • 1つは、自分が変えられるのは自分だけであると信じること。生まれつき、良いものを持っていなかったとしても、それが自分の過ちではないことを認めれば、それを残念と思わなくなる。昔、運命から逃れ、数々の苦しさや貧しさにも関わらず、幸福を手にした哲学者達の秘訣は、主にこの点にあったと思う
  • これらの道徳を確信したのちに、自分の意見全てを自由に捨てられるようになったと判断した。そして、この企てを達成するためには部屋を出て旅に出た。旅の中で、さまざな命題について、明晰で確かな推論に努めた結果、十分に確かな何らかな結論を導くことができた。このようにして、各々の事柄の誤りやすい点について反省を加えながら、私(デカルト)の中にあった誤謬を正していった

哲学の真理を見つけるために、あらゆることを疑った結果、確かなことは「疑っている自分がいること」だけであることに確信した。次いで、「私が真理を語っていることを保証することは、私がそれが真理であることを明晰にわかっていること以外にない」として、さらに「私が明晰に判断することは全て真である」とした。

以降、個人的にしっくりこないところもあるので、また時間をおいて読んでみよう・・・